大塚商会「たのめーる」、みなさんご存知ですよね。私も職場でいつもお世話になっています。今回は大塚裕司社長が『カンブリア宮殿』へ出演されるので、調べてみました。
大塚裕司
大塚商会の創業者である大塚実氏の長男として生まれ、幼少期から学生時代まで一貫して立教学院で学びました。卒業後はすぐに家業を継ぐ道を選ばず、外部の厳しい環境で研鑽を積んでいます。
大学卒業後~大塚商会入社
- 銀行・メーカー勤務: 1976年に横浜銀行へ入行し、金融の基礎を学びました。その後1980年にはリコーへ転じ、事務機器業界の最前線を経験しています。
- 一度目の入社と退職: 1981年に父が経営する大塚商会へ入社しますが、1990年に一度退職。ベンチャー企業(バーズ情報科学研究所)へ転職し、あえて「創業者の息子」という肩書きのない環境に身を置きました。
二度目の大塚商会入社~現在
- 1992年に大塚商会へ再入社:これまでの外部での経験が、後の経営改革に大きな影響を与えました。
一度は入社した大塚商会を、退職したのは「創業者の息子」という甘えを断ち切るためだったそうです。創業者家族が、入社して一度出ると言うのは一般的にあまり聞きません。
しかし、外側からの世界を自身の目でみることによって、後の営業支援システム(SPR)の構築に生かされたことは事実であり、結果的に成功だったと思います。
長者番付
余談ですが、大塚裕司氏は2025年版の長者番付ランキングで18位となっていました。
資産額5010億円とされております。
家族について
大塚裕司氏が結婚されているかどうかについては、公式なプロフィールや有価証券報告書などで配偶者の有無は公表されておらず、明確な情報は不明でした。
お父様は初代社長の大塚実氏です。
ただ、親子でありながらも「師弟」や「ライバル」といった間柄でもあったともされています。
実氏は、どちらかというと、自身のカリスマ性や経営者としての直勘による経営スタイル。それに対し、裕司氏は前職で培った経験を生かしたデータを重んじるITを駆使した経営スタイルです。2001年に社長職を引き継いだ後は、実氏の創業精神を守りつつ「SPR(営業支援システム)」を導入し、売上や利益を大幅に伸ばしており現在に至ります。
確かに一見、相対する経営スタイルではありますよね。
ですが、実氏が築いてきたものを認めつつも、否定を入れ自身の手法で組織を進化させたこの関係性は、まさしく親子の絆を超えた「ライバル」以上なものになったのではないでしょうか。
サンバチーム
裕司氏は「仲見世バルバロス」というサンバチームに属しています。
きっかけはボサノヴァのサウンドに心酔し、そこからブラジル音楽に興味が広がり、サンバへと繋がっていったそうです。
「浅草サンバカーニバル」へも毎年参加しており、そこでは企業の社長ではなく一人の参加者として準備から練習、本番まで取り組んでいます。
裕司氏はカーニバル用のTシャツの発注から受け渡し、集金などを担当。
仕事では経営者としての立場ですが、サンバチームでのフラットな人間関係の中で活動することは精神的なメンテナンスの維持となっているそうです。

浅草サンバカーニバルは、浅草の夏を締めくくる日本最大級のサンバイベントと言われています。2026年は8月29日(土)に開催することが公式発表されました!
この趣味が縁となって、大塚商会ではブラジルへの植林活動などビジネスを通じて国際貢献にも取り組んでいるそうですよ。
まとめ
大塚商会は今や「ITの総合商社」とも呼ばれる大企業に成長しました。
このことは、ライバルだった親子の世襲経営の成功例として高く評価されています。
プライベートでは経営者精神から抜け出し、フラットな環境で過ごすことが、結果的に企業の成長・成功へ繋がったのでしょうね。
- 独自に開発した顧客管理・営業支援システム。2000年以降、5000万件以上のビッグデータが蓄積されています。近年ではAI分析により、担当営業者へ提案する機能が掲載されています。 ↩︎



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